第33回金重巖作品頒布会を2023年の太陽高度が一番低い冬至という季節に開催することになりました。
人の営みは時計の歯車に似ていると感じています。小さな歯車がコトコトコトコト小さな時を刻み、ある瞬間大きな歯車がコトンと大きな時を刻む。宗教界では特別な「33」という数字に、今日まで個人的には特別な意味を感じたことはありませんでした。にもかかわらず、33回目となる今回の頒布会に金重巖が用意してきた作品には、今まで彼が取り組んできた作品群とは異にする、否、延長線上であることには違いがないのですが、なぜか私にはコトンという音が聞こえました。
いっそ洒落て、3番と33番の作品を冬至の影が醸し出す画像にして掲載しようと開荷してみると、伊部緋襷四方皿と伊部置物「萌芽」が現れました。伊部緋襷の食器は彼にとっては初めて世に問ううつわですし、伊部置物に至っては本人をもって最初で最後と言わしめる『おくもの』であり、それも偶然とはいえ銘が「萌芽」とありました。
壺屋に縁の深いある医療関係者が、「COVID−19は終息に5年かかりますよ」と2019年に話されていたのを最近よく思い出します。一定の終息を向かえたCOVID−19は、人の世に何をもたらし何を問うたのか。そして、世の人々はこの経験で何を変えどこへ行こうとしているのか。現在の世界情勢を鑑みると、未だに混沌の中で暗中模索し、出口すら見えないように私には映ります。そんな2023年も終わろうとしている冬至という節気に、金重巖が生み出してきた今頒布会の作品達は、何かに気づき何かを照らす道標に他ならないと感じさせてくれます。
金重巖というものづくり、混沌を身に纏い戸惑い歩く人々を尻目に、いち早く分水嶺を越えたように感じます。 |