1946年生
白瓷平鉢
(高さ4.5×径22)
 徹底的に「白」にこだわってみようと思った昨年(2001年)夏。「白」を中心にした理由は、幾つか存在する。
 まず、彼のうつわ感。『清楚で気品のある大陸らしい雰囲気のするうつわ』が好きと言う。天目・青磁に始まり、白瓷・宋赤絵・墨流し・練り込み・白地黒花・刷毛目など中国陶器を中心に、若い頃相当のめり込んでいたと聞いた。そして中国では磁州窯、朝鮮では李朝白磁を好む。中国陶磁器の歴史は、龍泉窯・景徳鎮窯・建窯など「官窯」を中心に発展してきた。そんな中で、民陶の中心的存在である磁州窯に惹かれ、白胎陶器を深く研究するようになった彼にしか出来ない「白」があるはずである。
 そしてもう一つの理由が、北大路魯山人。何だかとっても「ありがたい」響きのする「ものづくり」である。書画・篆刻にすぐれた才能を発揮し、陶芸の世界においても一流のプロデューサーである。そんな「魯山人の食器」というものに、修業時代の彼は徹底的に触れている。そんな彼に魯山人の食器の話をすると、「わたしは対極にある食器作りでしょうね。」と笑って応える。いやというほどそばにいたからこそ、見えてくるものがある。
 最近彼の子息と会う機会が増えた。ある話の中で「父は、自分の個性を殺してでも中に入れる料理が生きるように考えてうつわを作っている人です。」と言っていた。確かに彼の食器は、一見そのように見える。しかし、京都の料理人が愛し、フードコーディネーターと呼ばれる人たちが絶賛し、料理雑誌にしばしば登場する上原食器。本質は、別のところにある。「白」だけが並ぶ空間では、いやが上でもうつわの本質が浮き彫りにされる。いや、さらされる。
 作陶30年。いよいよ全貌を現すその夏がやってきた。
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