「布目大皿」
(高さ30×径490)

 宮原省二は今年(2001年)、第40回日本現代工芸美術展で本会員賞を受賞した。1997年に「爽秋」と名づけた作品で長野県展知事賞を受賞し、昨年は「小夜」を第39回展で発表し、今回は「侵蝕」という作品での挑戦であった。この3作品とも観る機会を得た。見事な連作で、彼の心の動き、作品の流れ、それ以上に人生の生き方を見せられた思いがする。
 爽秋に飛び交い始めた甲虫(こうちゅう)をイメージし、流線型のフォルムに螺鈿細工を施した「爽秋」。全体を一回り小さくして、螺鈿の印象をより強くし、晩秋の夜に乱舞する彼らを表現した「小夜」。そして、螺鈿細工を施さずなおかつ流線型のフォルムの最後尾を抉り取った表現で、翌朝の生命の終焉を表現した「侵蝕」。
 彼はこの連作で、自分の人生を表現したかったと言っている。人生50年目に「侵蝕」を発表し、半ばボロボロになっても生きていく自分の姿を重ね合わせたとも言っている。
 私はこの連作で、ふと思い出したのが宮本輝氏の芥川賞受賞作品「蛍川」の最後の一節と水上勉氏の解説の一文である。水上氏は宮本作品に闇を感じている。私には、「蛍川」の最後の一節に強烈な生の光を感じる。そして「爽秋」「小夜」「侵蝕」の宮原作品は、この闇と光の表裏一体の表現において「蛍川」と共通する匂いを感じる。
 今回掲載の布目大皿も5枚組の皿との連作である。最近の宮原作品には、彼の生き様の凄さと、愚直なまでに練り上げるひたむきさが滲み出ている。いよいよ円熟味を増した彼の作品から目が離せない。


「乾漆盛器」
(高さ135×幅405×奥行320)

 中津川から馬籠・妻籠・奈良井の宿を経て木曽平沢。言わずと知れた旧中山道・木曽路、東に木曽駒ケ岳・西に御岳山と3000m級の山々に挟まれた、ひっそりと佇む山間の漆の里。現在日本人の大多数の価値観から見ると、非常に暮らしにくく、閉鎖的に映る山里である。
 自然にあこがれ、ほんのひとときに自然を求め彷徨う都会人。やっと見つけた自然っぽい住環境で、都会っぽい衣食を求め、グローバルなスピードを享受する自称田舎人。様々な肩書きと都会の風を自分勝手に運んでくる自称文化人。そんな日本人たちが憧れない山間の町で生まれる作品。
 今回の宮原作品は、そんな今の日本人に対する警鐘を感じる。日本人が、日本そのものが忘れた、大事な大事な「自然と暮らす時間」。彼の作品には、そんなものを感じる。
 国際化・情報化と言う得体の知れないバケモノが蔓延る社会で、一服の清涼剤よろしく自然を切り取ろうとする日本人。人間社会を中心に自然を考えようとする現代人。そんな人々に、過去に学び、未来に何を残すかということを、この作品は考えさせる。
 彼の作品には、「自然とくらし、自然に学び、自然をうつし、自然を生かし、自然に還る。」というリズムがある。今回の「乾漆盛器」にも、色濃く反映されていると私は感じた。



 「うるしや家業も私の代で終わりでしょう。」宮原省二という“木曽の良心”とも言うべき作家の言葉が頭からはなれない。
 分業を中心として発展してきた漆の世界では、「一から十まで自分で」という背景にはなりにくい。これが、本物かつ個性的な作品を生まれにくくし、今日の社会での漆器の役割の縮小を招いている原因の一つでもあると思う。
 そんな中で、「私が死んでから私の作品たちは、真価を発揮するんですよね。」と今年50歳を迎えたばかりの彼は、本物を見て育ち、つくり続けてきた自信を覗かせる。家業として漆器問屋の歴史を背景にし、彼は作家の道を歩んできた。
 「漆器は、本来堅牢な器であって、毎日毎日使ってこそ味わい深いものとなる。陶磁器にはない魅力もいっぱい隠れているんですがね。」と笑う。
 今回掲載の「乾漆片口」は、最近よく見かける根来塗片口とは少々趣のちがう印象を受けられるであろう。根来塗独特の質感と使いやすさも魅力であるが、この片口は今までの片口とは一線を引く上品さが漂っている。これは乾漆という特殊な技法によるものであろう。
 「乾漆」は、見た目以上に軽くて丈夫である。奈良時代の仏像(彫像)を造る技術としてもっとも盛行した技法で、塑土(現在ではスチロールなどで代用する)などを用い原型を作り、その上に麻布を漆液で貼り固め(この工程を3〜4回繰り返す)乾燥後、塑土等を取り除く。つまり、木は使わず麻布と漆を使用することにより、軽量化と耐久性という一見相容れない要素をみごとに実現したのである。加えて、麻布という素材を使用することにより、より複雑な造形をも可能にしている。
 この乾漆技法を巧みに利用し、このように上品な片口が出来上がるのである。「では何故現在多く見かけないのであろうか。」という疑問が生じるが、その答えこそが“良心”なのである。麻布を漆液で固める段階で科学的な工程を使わず、仕上げることの手間と時間は、轆轤引きされた木を漆で仕上げる工程から比べはるかにかかる。当然、今の日本人の価値観からすると、歴史の彼方に置きざられていく運命にあるのかもしれない。しかし耐久性は、木をはるかに凌ぐ。 (奈良時代の彫像が語っているように)ただし、科学的な処理が介在しなければである。
 「最近はいかかですか。」と声をかけると、彼はいつも「淡々とやっていますよ。」と言う。一昨年の長野県展知事賞受賞作家は、今日も“良心”を作り続けている。
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